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2018.01.25 y=F(x)
美しい景色もつかの間に、、
雪掻きで少々筋肉痛を味わっています。

厳しい寒さが続いておりますが、
みなさま十分に温かくお過ごしでありますように


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そろそろ話を終えなくては鬼が来てしまいそう、、急いでNY紀行括ります^^;
MoMAより


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グリニッチから転居し、マンハッタンでの暮らしは1年数ヶ月でありましたが、
その僅かな期間に出会ったことは帰国後の活動に大きなご縁をいただきました。

シヴァナンダ・ヨーガのアシュラムやNYセンターで講師として学んだことも、
その時の、その時の、重なりがやはり今に繋がっています。

y=F(x)

それは、xにいろんな数を入れるとFという働きを受けてyが出てくるように。



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「生きる喜び」!
と、解説されているのをよくみるマティスの『ダンスⅠ』です。

常設のマティスの部屋にあるこの大きな絵。
私には「喜び」が少しも感じられず、
むしろ、生きていることへの、生を受けたことへの苦しみや悲しさ、
そのようなものを訪れるたびに感受していたのでした。

手前ふたりの手が離れているのは、
鑑賞者をこの「喜び」の輪に参加させている意図だと解釈されていたりしますが、
とても私にはそうと思えなくて。


でも今回久しぶりに目の当たりして惹かれるものがありました。

背後の青色が、去年に畠中光享氏の法相柱の絵に似ていた為でしょうか、
マティスのダンスにどこか宗教的な儀礼のようなものが観えて。


サークルを描いてクルクル踊りまわる果てのない「輪廻」
でも、繋がれた手が一点離れていることが解放としての「解脱」


y=F(x)
もしFの働きがゼロという空性だとしたなら、
やはりこれは儀礼の美にみる「生の喜び」かもしれない。

どんな経験xを重ねてもyにはいかなる差異は生じない。

全肯定で進めばただいいよと語りかけてくれるダンスのように見えて


でもこの式、「形式」自体は確かに成立し、普遍なものです。
この形式をいかに捉えましょうか。

今年も精進してまいります


28日今度の日曜日ははもう早1月最後の日本橋クラス(^-^)/
引き続きよろしくお願いいたします。


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人生は「ダンス」そのもの? ^^マイナス11℃のセントラルパークにて



「観る者」とはサーンキヤ・ヨーガ哲学でいうところのプルシャ。
そのプルシャが観ているものは「自分心」がただ観ているに過ぎない、唯・識。



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