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2023.05.11
回顧展
今、気になる二つの回顧展に行ってまいりました
まずは、マティス展「色、形、線 冒険の物語」

図録に収められているコラム「もうひとつの生を生きる―マティスのアオリスト」
(岡崎乾二郎著)によれば、
マティスは、
うつろいやすい光景の描写の「持続しない」一瞬しか捉えられなかった印象派を超えて、
「分裂した表象を繋げ、あるいは通り抜けるという「持続」」(p223)を探求したとのこと。
連続は位置付けられる場所がないゆえに、
(時間的な)「持続」として、かろうじて把握される。
その「持続」はそれを把握する主体の意識の持続性として理解され、
経験する主体の側に回収される。
連続させるような経験が生起したとき、
その連続させているものを時間と呼び、
結果としてその分節を包摂する、より大きな、延長しつづける空間、
が想像されるのである。
そこには、
「ベルクソンの持続という概念に強い親和性をもっていた」(p231)とありました。

マティスのあふれる色彩の物語に示される「生きる喜び」は、
ベルクソンの「elan vital」
(生命の進化を推し進める根源的な力として想定された「生命の飛躍(生の飛躍)」)
の思想が潜んでいたかのかもしれません。
余談ですが、前回の西田哲学はその後期にベルクソンに影響を受け、
現実の世界を変えていく=創って行く「歴史的現実界」の論理的構造に至ったそうな。
西田幾多郎(1870-1945)
アンリ=ルイ・ベルクソン(1859-1941)
アンリ・マティス(1869-1954)
そして、同じ時代に生きた、ジョルジュ・ルオー(1871-1958)
回顧展「かたち、色、ハーモニー」

ギュスターヴ・モローに学んだ同門でもあったマティスとルオーは
生涯に渡りとても親しい間柄であったそうです(友情の手紙)。
ご存知の通り、二人の画風はまったく異なる対照的な「形式」と「様式」をもち、
私は、ルオーの暗い宗教的主題の作品があまり好きでなかったのですが、
それは愚かな先入観であったことに気づかされました。

写真撮影可のお部屋にて
19世紀末から20世紀前半のフランスの地で、
二つの大きな大戦を経験し、生きた二人。
多くの問題を抱える現代に、
人間と社会について、近代を内側から眺めてみる。
生とはなにか、響くものが、そこにありました。

まずは、マティス展「色、形、線 冒険の物語」

図録に収められているコラム「もうひとつの生を生きる―マティスのアオリスト」
(岡崎乾二郎著)によれば、
マティスは、
うつろいやすい光景の描写の「持続しない」一瞬しか捉えられなかった印象派を超えて、
「分裂した表象を繋げ、あるいは通り抜けるという「持続」」(p223)を探求したとのこと。
連続は位置付けられる場所がないゆえに、
(時間的な)「持続」として、かろうじて把握される。
その「持続」はそれを把握する主体の意識の持続性として理解され、
経験する主体の側に回収される。
連続させるような経験が生起したとき、
その連続させているものを時間と呼び、
結果としてその分節を包摂する、より大きな、延長しつづける空間、
が想像されるのである。
そこには、
「ベルクソンの持続という概念に強い親和性をもっていた」(p231)とありました。

マティスのあふれる色彩の物語に示される「生きる喜び」は、
ベルクソンの「elan vital」
(生命の進化を推し進める根源的な力として想定された「生命の飛躍(生の飛躍)」)
の思想が潜んでいたかのかもしれません。
余談ですが、前回の西田哲学はその後期にベルクソンに影響を受け、
現実の世界を変えていく=創って行く「歴史的現実界」の論理的構造に至ったそうな。
西田幾多郎(1870-1945)
アンリ=ルイ・ベルクソン(1859-1941)
アンリ・マティス(1869-1954)
そして、同じ時代に生きた、ジョルジュ・ルオー(1871-1958)
回顧展「かたち、色、ハーモニー」

ギュスターヴ・モローに学んだ同門でもあったマティスとルオーは
生涯に渡りとても親しい間柄であったそうです(友情の手紙)。
ご存知の通り、二人の画風はまったく異なる対照的な「形式」と「様式」をもち、
私は、ルオーの暗い宗教的主題の作品があまり好きでなかったのですが、
それは愚かな先入観であったことに気づかされました。

写真撮影可のお部屋にて
19世紀末から20世紀前半のフランスの地で、
二つの大きな大戦を経験し、生きた二人。
多くの問題を抱える現代に、
人間と社会について、近代を内側から眺めてみる。
生とはなにか、響くものが、そこにありました。
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